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工女の暮らしぶり想像 山上宮坂製糸所の鳥瞰図複製画 家主ら蚕糸博に寄贈

2024年3月26日


 明治から昭和中期まで、岡谷の中規模工場として製糸業発展を支えた山上宮坂製糸所(加茂町3)の鳥瞰(ちょうかん)図の複製画が、岡谷蚕糸博物館に寄贈された。画家の故水谷心さん(諏訪市出身)が手がけた水彩画。工場のほかに講堂や寄宿舎、医務室などが描かれ、一連の工場体系から工女の暮らしぶりが想像できる。25日は6代目家主の宮坂秀子さん(77)ら3人が同館を訪れ、髙林千幸館長に手渡した。
 1874年に創業し、最盛期の昭和初期には年間約2万8000キロの生糸を生産。事務所や工場棟、母屋などが現存する数少ない製糸所として、近代化産業遺産の指定を受ける。鳥瞰図の作成は、宮坂さんの義弟と知人だった水谷さんから打診を受けた。1年以上通い、過去の写真を参考にしながら、2022年7月に完成。寄贈は同製糸所をより多くの人に知ってもらいたい—と願って決め、水谷さんにも生前、了承を得たという。
 複製画は、横60センチ、縦35センチほどの原画を、見やすいように横110センチ、縦75センチほどに拡大印刷した。1938年当時の概要図として、繰糸工場や煙突、繭倉、検査場、講堂などを俯瞰(ふかん)で描画。建物の名前などの解説図には読み仮名や英訳を添え、子どもや外国人も楽しめるようにした。
 宮坂さんの義理の息子、田中智晃さんは東京経済大学経営学部で教授を務めており、本年度は同館が収蔵する同製糸所の経営資料を研究。当時高級品だったオルガンが自由に使えたり、教育機会が提供されたりし、医療費を工場が全額負担した記録などから、工女は悲惨な生活ではなかった—と指摘し、「『女工哀史』で語られがちだが、実際は違ったと感じてもらいたい」と語った。
 宮坂さんは「(工女は)奴隷労働のようなイメージがあるが、全くそうではない」とし、「当時、女性が自分で稼ぐのは大変なこと。スポットが当たれば、工場の人たちも浮かばれる」と期待。髙林館長は「現存することを常々感心している。これからも岡谷の宝として姿を残してもらいたい」と話した。
 複製画の展示場所は、今後決めるという。(写真は、岡谷蚕糸博物館に寄贈された山上宮坂製糸所の鳥瞰図の複製画と解説図)