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無藝荘パンフ一新で英語併記

2019年6月26日

無藝荘パンフ
 蓼科観光協会は、蓼科高原にある小津安二郎記念館「無藝荘(むげいそう)」のパンフレットを一新した。増加する海外からの訪問客に対応するため、英語の説明文を併記。関係者は「より多くの人の目に留まればうれしい」と話している。
 無藝荘は世界的に知られる映画監督、小津安二郎(1903〜63年)の別荘を移築した、かやぶき屋根の建物。小津は盟友の脚本家野田高梧と共に、57年の「東京暮色」から62年の「秋刀魚(さんま)の味」まで晩年7作品のうち、6本のシナリオを蓼科高原で執筆した。
 同協会によると、無藝荘を年間に訪れる約3千人のうち、3%強は外国人。欧州を中心に米国や中国などから来客があり、その多くが小津映画のファンという。今後も訪日客が増えると予想され、英語での案内手段が求められていた。
 新しいパンフは説明文を見直したほか、使う写真や配置を変更。見開きに無藝荘の外観と象徴的ないろりの写真を大きく使い、小津と無藝荘の関係、小津の経歴、作品一覧に全て英語を併記した。
 表紙にある「雲低く寝待月出でて、遠望模糊(もこ)、まことに佳境、連日の俗腸(ぞくちょう)を洗う」は、小津が54年8月に初めて蓼科高原の野田の山荘「雲呼荘」を訪れ、備えられていた「蓼科日記」に感想をつづった文章。これも小津を敬愛する海外出身の大学教授らに依頼し翻訳した。
 パンフは同協会と小津安二郎記念・蓼科高原映画祭の実行委員会で費用を負担し、1万部作製。無藝荘で案内役の「火代番」を務める男性(73)は「『世界の小津』といわれるからには、せっかく来てくれた外国人も歓迎したい。英語で多少なりとも理解が増し、リピーターや次の来客につながれば」と話す。(写真は日本語と英語で書かれた無藝荘のパンフレット)