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豊作や安全を祈願 旧御射山神社で「御狩の神事」 初めて草鹿も
2018年8月28日
尾花ふく 穂屋乃めぐりの ひとむらに しばし里あり 秋乃御射山(下社大祝金刺盛久)—。霧ケ峰高原にある旧御射山(もとみさやま)神社で27日、例祭「御射山御狩(みかり)の神事」が開かれ、土地を管理する上桑原牧野農業協同組合(伊藤洸一組合長)や関係団体らが豊作や安全を祈った。甲冑(かっちゅう)演武なども奉納され、鎌倉時代は武技を競ったといわれるかつての大祭の一部が再現された。
同組合が主催し、森林組合、関係牧野組合などの霧ケ峰に関わる各種団体の代表が出席した。宮坂清宮司が神事を行い、代表がサカキにススキの穂を添えた玉串をささげた。
宮坂宮司は「かつては年間4回の例祭があり、特に夏の祭りは5日間に及んだ。近くの土壇に穂屋を建て、山の幸をささげた」と当時の様子を伝えた。伊藤組合長も「歴史と伝統のある祭りが盛大にできたことに感謝する」と話した。
2014年から始まった神にぎわい奉納行事も行われた。新陰流兵法轉(まろばし)会の三好祐司諏訪支部長(39)=茅野市北山湯川=ら3人が甲冑を身に着け、2人一組になって気迫のこもった立ち回りを披露。参加者たちが息を殺して見守った。ススキの穂などで作った鹿に矢を放つ「草鹿(くさじし)」も初めて行われ、小松真知男さん(69)=四賀桑原=が4本の矢を射った。
旧御射山一帯は、下社大祝金刺氏の禁猟地で、太古から御射山祭が行われていたという。特に鎌倉時代には全国的な大祭として、旧暦の7月26日から5日間にわたり行われ、集まった武士らはススキでふいた穂屋にこもり、小笠懸(こがさかけ)、相撲、武射競馬(くらべうま)などで武技を競ったとされる。江戸時代中期には、下社秋宮近くの山中に祭場が移された。
(写真は初めて行われた「草鹿」。ススキの穂などで作った鹿を的に矢を射る)