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本宮の4本も曳き建て、上社里曳きが閉幕

2016年5月7日

本宮二(ブロード用)

 奥山からの長い旅が終わり「神の木」8本が本宮と前宮に鎮座した。諏訪大社上社御柱祭は5日、本宮で4本の建御柱を終えて閉幕。大祭の余韻を残しながら「また6年後—」と氏子らは思い出を刻み、それぞれの祭りを終えた。
 96年ぶりに本宮一を担当した豊田・四賀地区は、山出しから時間厳守、安全第一を目標としてきた。ほとんどの氏子が「本一は初めて」という状況にもかかわらず、常に予定時間より早めの曳行でほかの7本を先導した。
 5日の建御柱では、午前8時40分から「冠落しの神事」。神斧(かみおの)、手斧(ちょうな)が入れられた後、斧衆が「よいしょ」と斧を振って削った。次々と木っ端が飛ぶと氏子たちもこぞって手を伸ばして求め、約2時間半かけて先端を三角すい状に整えた。
 七五三巻きが施され、午後2時前から建御柱。「よいとーまーけー、まけまけまーけ」の言葉に合わせて車地(しゃち)で綱が巻かれた。木やりとラッパが響き渡るなか、見守る氏子も「よいさ」の掛け声で後押し。34人の氏子を乗せた柱が徐々に頭をもたげた。
 高さが増すなか、おんべを振りながら「諏訪の男の心意気」を見せる乗り手たち。午後2時半に建ち上がった瞬間は周囲から拍手喝采、一帯に笑顔が広がった。柱から下ろされた懸垂幕は「未来そして宙まで届け本宮一の御柱」。諏訪清陵高校書道部がしたためた「未来曳行」の大幕も掲げた。
 二〜四の柱も午後4時までに順次建てられ、趣向を凝らしたセレモニーが氏子たちを喜ばせた。周囲一帯はこの日も太鼓、長持などさまざまな出し物で彩られ「祭り絵巻」を繰り広げた。
 なお本宮一の御柱では、建御柱を終えたばかりの5日午後4時半ころ、諏訪市豊田の自営業男性(41)が柱から転落。同市内の病院に搬送されたが、全身を強く打ち、約5時間半後の午後10時過ぎに死亡した。茅野、諏訪両署などによると、男性は氏子として参加、柱建立後の作業中に約10メートルの高さから転落し、下の綱に引っかかった後に重機の屋根に頭などを打ち地面に落ちたという。ヘルメットはしていなかった。
(写真は、ゆっくりと立ち上がる本宮二の御柱)