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報道の在り方に警鐘 松本サリン事件第一通報者 河野さん
2024年11月26日
箕輪町教育委員会と町人権尊重のまちづくり審議会は24日、「人権尊重のまちづくり講演会inみのわ」(みのわ新聞社など後援)を町文化センターで開いた。30年前に起きた「松本サリン事件」の第一通報者で、被害者でもある河野義行さん(74)=愛知県=が、世間から約1年間にわたって犯人扱いされた苦悩を語り、報道の在り方に警鐘を鳴らした。
事件は1994年6月に発生し、意識不明のまま14年後に亡くなった河野さんの妻を含む8人が死亡した。県警は当時、重症で入院していた河野さん宅を家宅捜索し実名を発表、厳しい事情聴取が行われ、マスコミ各社は、翌年にオウム真理教による犯行と明らかになるまで、河野さんを犯人視した報道を続けた。
河野さんは「メディアは誤報や人権侵害を起こさないための手法をとっくに分かっているが、実践されていない。ほかよりも早く情報を報道する速報性を一番大事にしている」と語り、「2番目でも3番目でも、正しく伝えることの方が大事じゃないか」と指摘した。
報道を信じた人たちからの匿名の「制裁」にも苦しんだといい、「死ねたら楽だと思ったこともあるほどつらいもの。逮捕もされていないのに、まともな世の中じゃないと思った」と回顧。「何もやっていない人がそれを証明する必要はないはず」とし、「推定無罪の全く逆をいく世の中になっている」とも訴えた。
無実が証明されるまでの約1年間を耐えられた理由として「妻が生きていたこと」と「孤立していなかったこと」を挙げ、「自分を知る人たちは離れていかなかった。孤立しないために、100%信じてくれる人を1人でいいからつくってほしい」と呼びかけた。
講演会には約300人が来場。聴講した同町長岡の60歳代女性は「拡散される情報に対し、きちんと自分の物差しで考え、行動できる世の中になっていかないといけないとつくづく感じた」と話していた。
(写真は、松本サリン事件後のつらい日々を振り返る河野さん)