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「逃げ上手の若君」で脚光 高島城で関連パネル展

2024年9月21日


 漫画やアニメの「逃げ上手の若君」で室町時代前期の諏訪への関心が高まる中、諏訪市教育委員会と市は、北条時行や諏訪氏に関するパネル展を今月末まで高島城で開き、観光誘客に努めている。
 展示は▽諏訪社の現人神(あらひとがみ)・大祝(おおほうり)▽鎌倉幕府と深くつながった諏訪氏▽北条時行をかくまった諏訪氏▽中先代の乱と諏訪頼重▽中先代の乱以降の諏訪—の5枚のパネル(A1判)で構成。鎌倉時代、幕府に重要視された諏訪の様子を紹介する。
 それによると、鎌倉時代、源頼朝は諏訪上社、下社へ神馬を献上したり、大祝(おおほうり)の命令を諏訪明神の意志とするなど、諏訪社やその神事を重要視し、特に御射山神事は幕府の保護下で盛大に行った。
 中期ごろからは、諏訪氏一族以外でも諏訪氏の本姓である神姓を名乗る人物が多く見られ、諏訪信仰につながった武士団を形成。大祝の職を退位して武士になった諏訪盛重は承久の乱での働きを認められ、執権北条泰時や時頼の代には、幕府の御内人も務め、関わりを深めたとする。
 幕府滅亡(1333年)の際、北条泰時は兄、高時の二男、亀寿丸(後の時行)の脱出を諏訪盛高に命じ、信濃へ逃げ延びた。諏訪頼重と当時の大祝、時継父子がかくまった。建武の新政が成立後、北条氏から恩恵を受けた残党が各地で反乱を起こした。1335年、諏訪頼重父子も時行を総大将として挙兵、鎌倉を守る足利直義を撤退させた。しかし、尊氏、直義軍の反撃で父子は自害。時行の奪還は20日で終わったと記している。
 10月5日(土)から11月4日(月=振替休日)には、諏訪市博物館でも展示する。(写真は城内で開かれるパネル展)