NEWS

小澤征爾さん来訪顕彰へ地元住民の機運高まる 子どもと触れ合う活動の原点 下諏訪町高木津島神社に

2024年2月25日


 6日に88歳で死去した世界的な指揮者、小澤征爾さん。1992年に松本市で始まった音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本=SKF(現セイジ・オザワ松本フェスティバル=OMF)」は、一流演奏家による世界水準のステージのほか、次代を担う子どもたちと音楽で触れ合う活動が高く評価されているが、その原点ともいえる野外コンサートが89年9月1日、下諏訪町高木の津島神社境内で開かれていた。演奏には小澤さんと親交があった世界的なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポービッチさん(1927〜2007年)も参加。二大巨匠による夢のような時間を体験した地元住民の間に、歴史的な出来事を顕彰しようとする動きが、小澤さんの死を切っかけに高まっている。
 野外コンサートは岐阜、長野県内で、同年8月末から1週間、計11回にわたり開かれた。ホールがなく演奏を聴く機会が少ない住民や、障害があってコンサートに行かれない子どもたちに、身近な場所で無料で音楽を提供しよう—とロストロポービッチさんが提案して実現。県内では飯田市、大鹿村、下諏訪町、諏訪市で開かれ、2人と桐朋学園大学弦楽アンサンブル16人が出演した。
 諏訪の2会場は小澤さんの欧州ツアーを支援したセイコーエプソン(本社・諏訪市)への返礼を込めて企画され、同社営業部長だった武井勇二さん(85)=北四王=が、同神社横に校舎(現在は富士見町に移転)があった県諏訪養護学校長の教え子だったことから、同校児童生徒を招待。開催を知った地元住民も詰めかけ、「約千人が流麗な調べに酔いしれた」と翌2日付の本紙に記載されている。
 境内の「舞屋」(神楽殿)を舞台に、ビバルディやハイドンの「チェロ協奏曲」などを披露。同社員で武井さんと一緒にアマチュアオーケストラ諏訪交響楽団の活動もしていた野澤彰治郎さん(84)=北高木=は当時、地元だったことから運営を手伝った。同神社は07年、本殿雨屋と拝殿の改修を行い、工事に合わせて舞屋に掲げられた説明書きには、小澤さんらの来訪が記されている。
 野澤さんは同神社本殿が町文化財に指定された18年に氏子総代を務め、野外コンサートの写真を密閉処理して説明書きの下に張り出した。「境内の上の方まで人で埋まったのを覚えている。すごい音楽性を持った超一流の人が来て、ここで演奏したことを残したい」と同神社の歴史の一部として、後世に語り継がれることを願っている。
 小澤さんの才能にほれ込み、同社に支援を進言し続けた武井さんはその後、SKFの立ち上げに関わり、現在もOMF事務局アドバイザーを務める。「音楽の天才だったが、おごることなく、誰にでも気さくに接してくれた」と人柄を振り返った。当時の記録によると、野外コンサートでは興奮して大きな声を出してしまう子どももいた。小澤さんは子どもたちの素直な反応を、「面白いし、大事だと思う。子どもたちに何かを残したいと思って(コンサートを)やっているので、騒いだっていい」と話していたという。特別な環境ではなく、日常生活の中で音楽に触れることを求めていた点で、ロストロポービッチさんとも通じ合っていた。
 開催日はちょうど小澤さんの誕生日で、演奏後に養護学校の児童生徒から手作りの手提げ袋や首飾りを贈られ、目を潤ませていた。武井さんは「とても感激屋で、人間性豊かな人だった」と巨匠の死を残念がった。(写真は、舞屋に掲げられた野外コンサートの記録を、感慨深げに見つめる野澤さん)