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中世の下諏訪を浮き彫りに 企画展「鎌倉物語」の図録作製
2023年11月16日
下諏訪町諏訪湖博物館・赤彦記念館は、19日(日)まで同館で開催中の町制施行130周年記念企画展「しもすわ鎌倉物語」の図録を発行した。残された文書が少なく、分からないことが多かった中世の下諏訪の姿に、発掘された遺跡の遺物から考古学的な視点で迫っており、企画展終了後も頒布を続ける。
同展の展示準備に合わせ、年度当初から写真撮影などの編さん作業を開始。祭祀(さいし)の際に使われたと考えられる「かわらけ」が出土した諏訪大社下社秋宮・春宮の境内遺跡に始まり、下諏訪中学校を含む秋宮南西側の神殿(どうどの)遺跡、秋宮東側の武居遺跡、諏訪市と下諏訪にまたがる霧ケ峰高原の旧(もと)御射山遺跡、高木の殿村・東照(とうしょう)寺址遺跡、JR下諏訪駅南東側に広がる四王前田遺跡などの発掘資料を網羅した。
このうち現在のグレイスフル下諏訪近くにあったとされる下社神宮寺の末寺・東照寺址遺跡は、1987、88年に発掘調査が行われ、建物の礎石や「集石墓(しゅうせきぼ)」と呼ばれる中世の墓などの遺構が出土。墓からは砥川産と考えられる河原石に経文が書かれた「礫石経(れきせききょう)」が多数見つかった。建物の遺構からは中国青磁や白磁のわん、骨つぼとして使われた古瀬戸などが出土し、下諏訪と中央(鎌倉など)との強い結び付きを示す資料となった。
四王前田遺跡からは、かわらけや中国の青白磁、天目茶わんなどのかけらのほか、銅製の飾り金具、刀装具など多様な金属製品が見つかり、下社を取り巻く都市的な性格を持った「町屋」のような遺跡と推定される—としている。
下社は中世戦乱の時代、何度か兵火で全焼し、大祝・金刺氏も滅亡してしまったことから、古文書や資料がほとんど残されていないという。宮坂清館長は「下社にも中世の豊富な考古資料があることを、住民の皆さんに知っていただく機会になった。遺物が語るものを考古学的に掘り下げ、文書がなく実体が分からなかった中世の下諏訪の姿を、よみがえられる研究を進めていきたい」と話した。
A4判、フルカラー26ページ。1部千円で頒布している。問い合わせは同館(電0266・27・1627)へ。
(写真は、完成した「しもすわ鎌倉物語」の図録)