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小津監督ゆかりの石仏など無藝荘に
2018年7月17日 茅野市の蓼科高原を晩年の仕事場に据えた日本映画界の巨匠、小津安二郎監督(1903〜63年)が大切にしていた石仏とつぼが、小津監督のめい小津亜紀子さん(69)=千葉県野田市=から蓼科の小津安二郎記念館「無藝荘」に贈られた。16日、小津監督をしのぶ「蓼科・夏の小津会」で披露された。
石仏は高さ約60センチ、幅約40センチ、奥行き約20センチで、小津監督が神奈川県鎌倉市の自宅の庭にあるサルスベリの根元に飾っていた。54年11月28日の日記に、京都月の桂酒造12代目の増田氏の案内で京都大仙院へ行き、石仏を譲り受けた—とあり、12月12日の51歳の誕生日に安置したことも記されている。
つぼは高さ約90センチ、幅約70センチ。小津が「天才」と呼んだ同い年の映画監督、清水宏(1903〜66年)から引越祝いに贈られた奈良漬のつぼで、石仏と同じ庭に置いていた。オフィス小津顧問の徳永英明さんによると、小津監督は古道具や陶器類に熱心で、蓼科に滞在中は盟友の脚本家、野田高梧(1893〜1968年)と共に諏訪、岡谷方面の骨董(こっとう)店をよく回っていたという。
石仏は無藝荘の玄関、つぼは廊下に展示された。無藝荘は小津監督の別荘をほぼそのままの姿で移築しているが、監督に直接関係のある品は残されておらず、蓼科観光協会無藝荘運営委員長の藤森光吉さん(72)=茅野市湖東=は「無藝荘にふさわしい贈り物をいただいた」と喜ぶ。亜紀子さんは「縁あったところで多くの人に見てもらえればうれしい」と話した。
夏の小津会では、小津監督が愛したヒガンバナの球根が参加者に配布された。弟の故・信三さんが兄をしのんで育て始めたもので、市内で秋に開く「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」の実行委員会に亜紀子さんが寄贈。小津の映画「彼岸花」の制作年(58年)にちなみ、58ポットが用意された。(写真は無藝荘に飾られた石仏を見る小津亜紀子さんら)