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製糸の歴史物語る鍋 蚕糸博物館で収蔵展
2018年2月10日 岡谷蚕糸博物館で、糸繰りに欠かせない鍋に焦点を当てた収蔵品展「鍋、語る。〜繭を煮る、糸を取る〜」が開かれている。繭を煮て糸にする上で現在も重要な役割を果たす鍋が、製糸業の発展とともに形を変えてきた変遷や日本の近代化へ心血を注いだ先人の知恵、挑戦の姿を紹介する。4月15日(日)まで。
古来、錦絵などにも描かれたように、生糸作りでは火をたいた鍋で繭を煮ることで周囲を包むタンパク質のセリシンを溶出させ、糸をほぐれやすくした。明治以降の近代化で蒸気機関が用いられるようになると、糸取りの条数の増加で鍋も丸型から半月型に変化していったという。
平野村(現岡谷市)の武居代次郎が諏訪式繰糸機を開発すると、鍋を金属性から陶器製に替えることでコストダウン。陶器製の煮繭鍋や繰糸鍋には、近隣の「高遠焼」や辰野町の「赤羽焼」が使われた。
今展では、収蔵する150点余りのうち約30点を展示。じか火を使っていた江戸時代の物から、糸口を作る索緒機を取り付けられるようにした鍋まで移り変わりを紹介する。多条繰糸機が普及し、鍋の製造地が滋賀県の信楽に移された後、製陶技術を外壁タイルに生かして活路を見いだす地元の先人たちの工夫も並べる。
同館学芸員は「工女の皆さんは、糸を取る前に鍋の前で『よろしくお願いします』、終わると『ありがとうございました』とあいさつしたといい、道具も製糸業の一部」と指摘。「鍋が悪いと良い糸が取れない。製糸業の技術の集積の一つが鍋であり、そこには先人の工夫と知恵がある」と話す。
関連企画として11日(日=祝日)午後1時半から、同館で講演会。赤羽焼が作られた辰野町、辰野美術館学芸員の赤羽義洋さん、高遠町丸千組で最後の陶工の子息、橋本多美雄さんを迎える。ギャラリートークでは同館職員と、併設の宮坂製糸所で長く糸取りに携わる中山ふじさんが解説する。
定員50人で要申し込み。無料だが入館料が必要。問い合わせは岡谷蚕糸博物館(電23・3489)へ。
(写真)時代の移り変わりを追って展示される鍋