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下諏訪の魁塚で相楽祭150年祭
2018年4月2日
明治維新期に新政府から「偽官軍」の汚名を着せられ、1868年に下諏訪で処刑された赤報隊隊長の相楽総三らの霊を慰める相楽祭150年祭が1日、志士をまつる魁塚であった。節目に、地域住民や子孫ら約80人が参列。墓標に手を合わせて思いをはせ、今後も後世へ継承していくことを誓った。
相楽祭は地元住民らで組織する有志の相楽会が、毎年この時期に開いている。神事を執り行い、来賓や子孫代表が玉串をささげ、刑死した赤報隊幹部ら13人の遺徳をしのんだ。
阿部光男代表は式辞で「魁塚は町の文化財に指定されている。歴史的な時代背景を理解しながら、遺産を継承していくことが重要」と述べて活動を続けていくことを強調した。
子孫で、総三から5代目に当たる木村将裕さん(65)=神奈川県川崎市=は「明治、大正、昭和、平成と続いてきた相楽祭。新しい元号の下でも、子どもや孫たちの代まで、末長く開催できるようお願いしたい」と話した。
総三は68年には赤報隊を組織し、東山道軍の先鋒(せんぽう)として活躍。その東山道総督府参謀の指示で、京都から江戸に向かう途中に幹部らと共に処刑された。
魁塚は刑死した赤報隊幹部らを弔うため70年に建立され、同時に招魂祭が行われたのが、相楽祭の起源とされる。明治期に途切れたが、地元有志が大正初期に復活させ、現在は相楽会が主催し4月第1日曜に開いている。
没後150年の節目に合わせ、例祭前に記念講演会や展示が総合文化センターであった。約110人が訪れ、歴史家の話を聞いたり、文化財を見て当時に関心を寄せた。
町が町制施行125周年事業と位置付けて支援した。展示は諏訪湖博物館に収蔵されている史料を中心に、総三にちなんだ扇子や掛け軸、写真、短刀など8点を用意し、来場者へ公開した。
町教育委員会では今後、宿場街道資料館を会場に、総三にちなんだ企画展示を計画する予定で、町にゆかりのある志士に理解を寄せてもらう機会をつくる。
(写真は、魁塚で開いた相楽祭)